学校教育における、教師達の持つ頑なな固定観念(追記あり)
小中学生の頃、若しくは自分の子供の体験談で、テストや感想文等で回答を書いたはいいが、納得のいかない理由で減点されたり書き直しを言い渡されたりした。その回答の中にはむしろその教師が模範解答としていることよりもより高度な回答とされるべきものもあるのに、やれ「習ったことだけを書け」だのなんだのと言われて問答無用で認めてもらえなかったという類の話をたまに耳にします。
教師達は自分達の固定観念の外にあるものを考える・認めることができないのか
それらの例がこちらのリンク先のカリンの木の話や
こちらのビデオの感想文の話だと思います。
小学校の時知的障害者のビデオ見せられて感想文書かされたんだけど「別に何とも思わない」って書いたら先生に怒られて、「特別扱いすることのほうが差別なんじゃないですか」と率直に答えたら更にヒートアップして殴られたので池沼は嫌い
— 雑魚 (@ahepikun) 2013年12月5日
筆者が中学生の頃にもこれと似たような事象がありました。体育祭及びその準備期間の頃、生徒らは体育の授業中頭に鉢巻を巻くようにしていたのですが、一部の女子がそれをリボン風に髪に巻く等のアレンジをしていたんです。しかしそれをみた先生が頭ごなしにそれはとにかくダメな巻き方だから通常の巻き方に直すように命じたということがあったんです。子供たちの自由にものを考える発想力ってのはこうして奪われていくんだなって今にしても思います。
他にも、有名な『シャーペン禁止』にも代表されるように教師たちがよくわかららない基準で何かをとりあえず禁止するみたいな話もよく目にします
小学生の娘からの疑問
— また〜り(にーにー) (@hatunemix) 2017年7月2日
「給食時間に好きな曲をかけてもらえるのだけれどボカロ曲は先生ダメだって言った。どうして?聞いたら機械の声だからダメだって。でもPerfumeはいいんだって。どうしてかな・・・」
職員室に乗り込み父親として小一時間問い詰めたくなった
まさにその瞬間であった
(-ω-;)ウーンなんかどうも日本の教師達って自分たちの思考の枠というか、今まで自分が見てきた事学んできた事だけが正しいことで、それらの範囲の外にある概念を頑なに認めたがらない脳になっているような感じがしてならないです。ブルマや座高が廃止されるのに長らく時間がかかったのもそうしたことが一因なんじゃないでしょうか?
はだしのゲンでは戦時中の学校教育における思想統制の様子が描かれてますが、戦時中のように教師側の主張や考えが戦争賛美・肯定でなくとも、日本の教師達のこういった性格・性質に関して言えば今も戦時中も五十歩百歩な気すらしますね何だか😩
ただですね、生徒に意見や価値観押し付けたり自分たちがよくわからないものをすぐに禁止したりするのはまだしも、生徒の人命にかかわることまでそれをやるのはアカンでしょう。
いやこの教員頭どうかしてるだろ
— ななせん (@odlo0p_eg) 2017年6月19日
こんな奴が教員免許持ってるとか流石にないわ pic.twitter.com/L19IMbN20w
小学生が下校の時にお茶を飲んではいけないといわれている。すごく暑いのに、下校途中にお茶が飲めず、帰ってきた娘は軽い熱中症。仕事から帰っていたから対処できたが、お留守番だったらと思うと怖くて仕方ない。下校途中にお茶を飲んではいけない理由はなんだろう。熱中症になるより大事な理由なの
— しげぞう (@3usTPyi6GNEoHto) 2017年7月3日
自分たちの主義思想・固定観念>>>>>(越えられない壁)>>>>生徒の命
ってことなんでしょうかね?
追記
こんな話を目にしました。やはり彼らはブレないですね。( ・ิω・ิ)
「高校生にあんな文章が書けるはずない」で思い出すのだが私は幼いころ「こどもにあんな絵が描けるはずがない」と言われた。ある時コンクールで私の絵がどう見ても金賞の絵よりうまいのに銀賞で母がわけを聞きに行ったら「小学校低学年が遠近法を取り入れた絵が描けるわけがない」見たとおり描いたのに
— 山本貴嗣 (@atsuji_yamamoto) 2017年7月12日
中学生の時に漱石の『こころ』の感想文を提出したら「中学生らしさがないから受賞は無理だろう。コンクールへは他の子のを出した」とのことだったんで、同じ文章を高校生の時に提出したら、コンクールで賞を頂いた。
— いめゆんな (@imeyun_kana) 2017年7月13日
大人が考える「子供らしさ」に当てはまらない個性を、不適格だとはじく傲慢さよ。 https://t.co/7umtarhYOq