iroyuatのチラシの裏

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映画「天気の子」で気になったところ

先日映画「天気の子」を観に行ったので個人的に気になったところを書きます。

以下ネタバレ。

実在物の過剰登場

序盤に登場した某広告トラックを始め、某質問投稿サイト、某雑誌、依頼主のコスプレキャラ、スマホの着信音、日清のカップヌードル、カラオケシーンで歌われていた曲など、相当数の実在著作物・商標物が登場しており、この映画を作るにあたってかなり多くの所から協賛を得ているであろうことが伺えるのですが、個人的に(他にも数多の作品等とコラボしている日清はともかく)これらの実在物登場描写は制作側の「これ程まであちこちからの協賛を集められるぐらい前作では稼げたんだぞ。凄いだろ」と言いたげな意図がちょっと露骨な感じがしてやや厭らしい感じがしました。

主人公たちの反社会的行動 

前作の登場人物も変電所を爆破する等していたのですが今作に至っては主人公・ヒロイン共々最後のエピローグ部分を除いて終始学校にすら通っておらず家出状態だったり年齢を偽ってバイトをしていたりという状態であり、他にも序盤の方で(チンピラに殴られている状態から脱する為だったとはいえ)偶然手に入れた拳銃を街中で発砲したり(この直後の陽菜も曲りなりにも自分を助けようとした帆高をちょっと感情的に罵倒しすぎだった気もしますが)、またこの時の発砲や前述の家出状態が原因でやがて警察に追われる身になるのですが、終盤では警察から逃げるために線路の上を走りだし、周囲の通行人からは嘲笑の的にされていていました(あの後帆高は間違いなくSNSで多くのネット住民から晒しものにされていたでしょう。)

他の方々の感想を見てみると二人を引き離そうとする様々な力に抗い、また離れた後再び陽菜に会おうとする帆高の苦闘を描く為とはいえちょっとこういった所が肯定的というか美化というかそういう風に描かれすぎじゃないですかね的な批判が多く、筆者もその批判にはある程度の同感をせざるを得ませんでした。

前作の登場人物たちのカメオ出演

前作の登場人物らが依頼主の孫や指輪店の店員等として時折チョイ出演してくるのですが、ネットではこういう演出自体は嫌いではないけれど後述の結末でなら前作とは世界観は分けてほしかったという声が多い様です。(前作の二人が最後に再会する場所が今作では時系列的に水没してしまうという矛盾が生じる為)(ただ、そもそも前作キャラ共演演出は新海誠の恒例だそうで前作にも前々作『言の葉の庭』からの登場人物の出演があったらしいのですが…)

主人公の逃走を許してしまう警察

前述した通りいよいよ警察から本格的に追われる身になって、それから何度か隙をついて逃げるシーンがあるのですが、この時の警察も帆高が刃物でも振り回していたのならともかく特にイカついツッパリでも無くスポーツや格闘技等も習っていない少年相手に呆気なく突破されすぎじゃないでしょうか…。普段身体も鍛えていて逃走犯を取り押さえる訓練もしているであろう警察がただの少年相手にこの失態は色々と不味いのでは?

結末

陽菜が地上へ戻ったことで再び東京では雨が降り続け、結局大雨洪水問題は未解決のまま東京は海に沈んでいって物語は終わるのですがこの結末にもやはり賛否あるようで、「この辺りは昔は元々海だったから元の東京の姿に戻ろうとしているだけだ」と、この結末を肯定視する台詞もありましたがそれでもう~~~んと唸らざるを得ませんでした。ここでもし奇跡的な出来事が起こって大雨がやんだら「ご都合主義展開だ」的な批判もあったかもしれませんが。

ただ、途中で連日の大雨に対し「“異常”気象なんてのは今を生きている人間の視点にすぎない」的な台詞もあり、この辺りはマスメディアが良く言う「○○年に一度の○○」という煽り文句を皮肉ったつもりだったのかもしれませんが。

 

と、散々ディスりましたが背景やキャラデザなどのグラフィックは非常に高いクォリティで、また途中で陽菜が能力が使えなくなって恥をかいたりそのせいで晴れ女としての経営が行き詰るというベタな展開にしなかったのはよかったと思います(寧ろどんどん体を蝕まれていきましたが)。

 

余談ですが今年他に観に行った映画です。一年間でこれだけ観に行ったのは初めてです。

ところで巷ではドラクエの映画が悪い意味で話題になっているようですが、どれだけアレな内容なのでしょうか…?余りにも彼是言われていると寧ろ気になります。