学校教育における、教師達の持つ頑なな固定観念2
またまたこんな話を目にしました。相も変わらずって感じです。
小学生の頃に気づいた真実。冬休みの課題で書初めを出され、祖母の指導の下で1日500枚書いて練習しました。結果、金賞を取って喜んだのですが担任が「こんな短期間で上手になるはずない」と言う。目の前で書いて差し上げても「これは嘘だ」と訳がわからない。結論が先にある人に何をやっても無駄。
— フジコの愚弟でございます (@Pro_Wresler) 2017年9月13日
小学校の卒業式の歌の練習の時に先生が「皆さんボーカロイドは知ってますか?アレは機械なので心がありません。だから人を感動させる事は出来ません。でも皆さんは人だから気持ちをこめる事ができて〜」とか言い始めて言い返したかったけど何て言えばいいか分からくて悔しかった小6の思い出。
— ひよこミキサー@マジミラありがとう (@hykmixer) 2017年9月17日
この類の話を聞く度に思い出すのが、楳図かずお先生著の『漂流教室』の某シーンです。
この漫画はある日主人公の小学生、高松 翔が通っている小学校が丸ごと人類が滅んだ後の遥か遠い未来の世界へタイムスリップしてしまい、そこでの翔達の苦闘を描くという物語なのですが、一緒にタイムスリップした大人・教師達の殆どはその世界の学校の周囲で立て続けに起こる怪奇現象を見ているうちに気が変になってしまい、自殺したり他の教師を殺したりする等して皆死んでしまいます。
そして何故大人たちがそうなってしまったのか、翔がこのように述べます。
このシーンは、本当に大人、特に教師たちの性質・性格ってものを皮肉ってるなって感じます。少しでも自分達の思考の枠から外れた様な言動を生徒がやるだけで拒絶反応を示し、自分達の固定観念を頑なに押し付ける教師たちが、もし通常では考えられないような怪奇現象の類を目の当りにでもしたら精神崩壊でも起こすんじゃないかという皮肉なんだと思います。
ただ、もう少し補足すると、確かにこんなトンデモ事態に遭遇したら思考の枠や固定観念等が凝り固まってる人でなくても激しく混乱するでしょうし錯乱するのも無理ないと思います。現にこう御高説を宣っている翔や他の子供達だって作中とても平静を保ち続けているとは言い難いです。引用コマの最後でも述べているように彼らは彼らでなんでも信じられる心とやらのせいで同級生を火あぶりにしようとしたり、他にも鳥になろうとして屋上から飛び降りる下級生まで現れ始める始末です。
ですから、このような展開にしたのは勿論子供達が大人の手を借りずに自分達の力だけで困難を乗り切るという話を描きたかったのと、やはり上述の通り世間の教師たちの性格を楳図先生なりに思い切り皮肉ってやりたかったってのがあるんだと思います。
おまけ
最後に、こちらの風刺画を張って置きます。今の学校教育は木材を皆四角四面の木の人形の様な同じ形に切り揃えてしまっているのと同じだ、という皮肉です。
9/18 追記
少し画像などを追加しました。