iroyuatのチラシの裏

飽くまでもチラシの裏です

子供達が持つフリーダム過ぎる思考

大分前にサザエさんでワカメがタラオに折り紙の折り方を教えるために山折りと谷折りの違いを説明していたが、何度説明してもタラオが追った折り紙をひっくり返して「同じです」と繰り返して主張するのでワカメがうんざりして折り紙を教えるのをやめてしまう、というシーンがあったんです。

当時の筆者は「なんか実際幼い子供にものを教えてる時にありそうだな~こういうの、てか案外制作スタッフの実話が元になってたりして」と思いながらそれ観てたんですよね。

 なんというか、子供ってのは良くも悪くも物事を考える際のルールみたいなものが本当にまるで定まってい無いんですよ。以前筆者に絡んできた論客のガキ(youtubeの米欄で論客に絡まれた話 - iroyuatのチラシの裏)と話してて感じてたんですが、本人は本当に自分の中のルールだけでものを喋ってるって感じが凄く伝わってくるんです。自分が見てきた語彙や言い回しを使いどころをよく理解もせずに真似して使っているというか…。だから時として突拍子もない持論を展開しだしたりそもそも大人と上手く会話を嚙合わせることができなかったりってことがザラにあるんだと思います。対話を将棋の対局に例えるならルール分からない人が駒を滅茶苦茶に動かしてるようなイメージ。

一方大人は…

大人は大人で(特に学校の教師達は)以前こちらの記事(学校教育における、教師達の持つ頑なな固定観念(追記あり) - iroyuatのチラシの裏)でも語らせて頂いたように上述の対局の例えで言うならいつも同じ戦法ばかりとっているばかりか他の人にまでその戦法を押し付けていて、更に他の人(特に自分よりも経験が浅い人)が「もっと他にこういう戦略をとったらどうですか」と勧めてきてもそれを頑なに拒んでいる、その勧めてきた人を馬鹿な奴だとすら思っている様な感じなんです。

こうして改めて思うんですが学校ってのはこのように思考が対極にある者同士が強引に共存している場なんじゃないかって思います。結局子供達も教師達もお互い永遠に平行線ってやつなんでしょうかね。